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2012年3月10日



明日で東日本大震災が発生して一年。

改めて被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

 

未だに余震と思われる地震も続き、原発やガレキの問題などが山積していますが、個人的な視点で震災を振り返ってみようと思います。

尚、今回の日記は野鳥の話題はありませんことを予めご了承下さい。


誰しもが想像を超える大震災でしたが、宮城県では数年前より震災の発生を危惧していました。
このことから自衛隊の東北方面隊(陸自)では平成8年より「方面隊震災対処訓練」を実施。

平成20年2月にも訓練が行われ私は仙台駐屯地へ。

(画像は訓練に合わせて作成された資料より抜粋)

この時は昭和53年に発生した宮城県沖地震から30年目の年。
近い将来発生するであろう震災に備え陸・海・空自衛隊、自治体、関係機関等が訓練に参加していました。

ご覧のように訓練のシナリオにはM8.0と記載があります。
しかし実際に発生した地震ではM9.0、宮城県栗原市で最大震度7を観測。
被害見積の死者の数も想定を大きく上回りました。

震災前の仙台空港。

私にとって思い出のあるこの仙台空港も想定外の津波が押し寄せ大きな被害を受けました。


震災発生当時、秋田県では最大震度5強を観測。
発生して間もなく停電。
この日は3月にもかかわらず雪の降る寒空でした。

大抵の方は情報源がラジオだった為に翌日の新聞の一面を見て津波の被害を知ったようでしたが、私は電気を確保できる状況下にあったのでリアルタイムで街が津波にのまれていく様子を見ていました。

陸自のUH-1から送られてくる映像を見て「こんなことって有り得るのだろうか?」と実際に起きている惨劇に自分の目を疑いました。

映し出される映像には何波もの巨大津波が街に押し寄せ、そこには私の見慣れた街並みも。
松島基地(空自)も津波被害に遭っていました。 

松島基地は東松島市(旧矢本町)に在り、直ぐそばには海岸線。
震度6強の揺れに襲われ、何も遮るものがない基地には震災発生から50分後に津波が到達。
押し寄せた津波より保有する航空機(F-2B×18・T-4×4・U-125A×2・UH-60J×4)28機が使用できない状態になりました。

 

この想定外の地震により自衛隊では初の即応・予備自衛官が災害派遣招集。

陸・海・空の3幕が総力を挙げて被災地へ。
秋田からは陸自と空自の多くの隊員が被災地で活動しました。

被災地で多くのサバイバー(要救助者)を救助した秋田救難隊のUH-60J。

 ヘリが着陸できない場所ではホバリングした状態でメディック(救難員)を降下させサバイバーをピックアップします。

列線に並ぶF-2B。
これは震災前に撮影した松島基地。
松島基地には戦闘機操縦課程に入った学生が訓練を行う21SQがあります。

訓練に向かうF-2B。
ファイターパイロットを目指す学生は浜松基地でウイングを取得後、通常は松島基地(F-2)か新田原基地(F-15)に分かれて訓練を行います。
しかし震災の被害により21SQは三沢基地(青森県)に移動し、三沢移動訓練隊を編成して訓練を再開。
このように我が国の防衛の要とも言えるファイターパイロットの養成にも影響が出ています。

 

奥に見えるのはBlue Impulseの格納庫です。

松島基地の周りには田んぼが広がり、ランウェイ近くには牛を飼っていた民家もありました。
震災により多くの方が犠牲になってしまいましたが、それと同時に多くの動物たちも犠牲になったことを思うと非常に胸が痛くなります。

 

個人的に基地周辺にも沢山の思い出がありますが、松島基地といえば11SQのBlue Impulse。

正式名称、第11飛行隊のBlue Impulseは全国各地の航空祭や記念行事で展示飛行を実施する為に震災前まで松島基地周辺で訓練をしていました。

Blue Impulseの格納庫内。
このBlue Impulseは震災発生当時、九州新幹線の全線開通記念行事に合わせ展示飛行を行う為に芦屋基地(福岡県)に移動していて難を逃れました。

Blue Impulse展示飛行課目のバーディカルキューピット。
数年前の松島基地航空祭の様子です。

震災前まで基地周辺に住む地元の方にとってはBlue Impulseが飛んでいるのは日常の風景でした。
震災発生から一年が経とうとしていますが、そんな当たり前の風景が一日も早く戻ることを願わずにいられません。

復興が進み被災地の方が笑顔で航空祭を楽しめるその日まで・・・

「がんばろう東北!」