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2023年3月13日

 

 

 

本日更新する日記は先月19日の観察分から。

 

観察場所が定まらないまま迎えた日曜日。

 

雨予報に加えてこれといった目的もなかったせいか目覚めが悪く、のらりくらりと準備を整え自宅を出ると雨の降るなか南下していくマガンの群れを目にしました。

 

1月下旬から降り積もった雪の影響が続き自宅周辺の田畑は雪に覆われ一面真っ白。

 

同じように大潟村周辺の田畑も雪に覆われガンにとっては死活問題であったことでしょう。

一頃増えたガンの群れも餌場を求めて再び南下していたようです。

 

 

当てもなく海沿いを北上してみようと思いましたが、マガンの後をついていくように私も海沿いを南下。

 

久しぶりに県南部の沿岸地域で探鳥をしてみることに。

 

秋田自動車道を利用して沿岸部南端の象潟ICまで移動し、ここから各チェックポイントを巡回しながら秋田市へ戻るコースです。

 

 

昨年の同時期に沢山のガンが見られた地域を重点的に見て回りましたが尽く空振り。

 

想定ではガンの群れを相当数見られると思っていただけに私の目論見は見事に外れてしまいました。

 

 

自動車道を南下する途中、総数にして1万羽ほどのガンの群れが見られた地域がありそちらへ移動。

 

 

この日はこちらの地域を拠点として観察を進めることに決めました。

 

画像はハクチョウの群れを写したものですが流石にガンの群れにはおいそれと近寄れません。

 

無闇に近寄るとガンを飛ばすだけのオジサンになってしまいます。

飛ばされるガンも可哀想なものですが、飛ばした本人にとっても大変な損。

 

飛ばしてしまうと観察に結びつかないことから間合いの取り方には相当気を遣いました。

 

 

ざっと見て回るとこちらの地域で見られるガンの群れはマガンが大多数。

 

次いで多かったのがシジュウカラガン。

この結果は私にとって意外なものでした。

 

 

秋田県で越冬するガンはヒシクイが多いため、それよりもシジュウカラガンが多いということは宮城県で越冬していたシジュウカラガンが一度大潟村周辺に北上し、寒気の影響でこちらの地域へ南下してきたものと考えられます。

 

ヒシクイは大潟村周辺で頑張っていたのかもしれません。

 

 

こちらは僅かに見られたハクガン。

家族群でしょうか。

 

 

この地域に滞在するガンを一通り見て回ったところで群れのなかからカリガネを探してみることに。

 

1羽1羽丁寧に確認していくという単純作業になりますが、これがなかなか見つからない...

 

 

約3時間ほどこの作業を続けたでしょうか。

 

お昼を過ぎた頃には集中力が無くなり眼精疲労が増す一方でした。

例えるならば「目から血が出そう」そんな感覚です。

 

 

見つからないものに時間を費やすよりなら点在するシジュウカラガンの群れを観察しようと考え、午後はシジュウカラガンの観察に徹底しました。

 

 

今やハクガンも数を増やし普通種になりつつありますが、シジュウカラガンも嘗ては珍鳥扱いだったと記憶しています。

 

私がシジュウカラガンを初めて見たのは大潟村。

 

 

野鳥観察を始めて間もない頃、初めて見るシジュウカラガンは白い頬が特徴的で、和名通りシジュウカラに似たような顔をしているという印象を受けました。

 

当時の渡来数は100羽程度だったでしょうか。

 

 

日本の歴史を遡るとガンの類いは日本全国何処の地域でも見られていたそうです。

 

しかし明治時代に解禁された狩猟によって年々数を減らしたのだとか。

 

 

シジュウカラガンに至っては昭和初期になると渡来が途絶えたという歴史もあり、その根本的原因となったのは世界的なキツネの毛皮ブーム。

 

シジュウカラガンの繁殖地であった千島列島に毛皮をとる目的でキツネが放され、ほぼ全ての個体が襲われるという悲しい歴史がありました。

 

 

絶滅の危機に瀕したシジュウカラガンを復活させる為に日本雁を保護する会が中心となり、ロシアやアメリカと共同で羽数回復計画がスタート。

 

具体的にプロジェクトが始まったのは1980年。

私が四歳の時のお話です。

 

初めの試みとしてはアメリカで生まれた幼鳥を日本に放すことから始まりましたが、渡りの時期を迎えても移動せず失敗。

 

 

ガンの類は初めて飛んだ場所を繁殖地と認識する習性があり、嘗ての繁殖地である千島列島での放鳥がどうしても必要だったのです。

 

しかし当時の政治的な背景からプロジェクトは難航しました。

 

 

1991年にソ連が崩壊。

 

ここからプロジェクトは一気に進み日本人が立ち入ることのできなかった千島列島へカムチャツカの増殖施設で生まれた16羽の幼鳥をヘリコプターで運搬。

 

 

日本へ渡るマガンとヒシクイの群れに放鳥が始まり2010年まで合計13回、551羽が放鳥されました。

 

その結果2007年には初めて幼鳥を連れた家族群が日本に渡来し、野生下で繁殖していることが判明。

 

2010年には100羽を超える群れが渡来するようになり、その後順調に数を増やし2017年には5000羽を超える数まで個体数が回復しました。

 

 

2010年は私が野鳥観察を始めた年。

 

まだ知識の浅かった私はシジュウカラガンがどの様な鳥であるのか分からずに観察していましたが、今思うとあの頃に見た群れはようやく三桁まで回復した個体群でした。

 

そう思うと感慨深いものがあります。

 

 

この日は観察というよりも羽数回復計画の歴史を思い出し群れを眺めていたという言い方が正しいかもしれません。

 

壮大なプロジェクトに尽力された方々へ敬意を表し、本日の観察日記はここまでにしたいと思います。